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2021-02-16

今月の俳句「一月」2021

文学全集の絵

音もなく 気配ばかりが 除夜の鐘

いつもの歳であれば 元旦に日が代わる真夜中に 風呂に入浴していると近くの最明寺の除夜の鐘が聞こえてくるのだが、今年ははっきりと聞き取ることができなかった。
湯に体をいれて耳をすましていると それらしい音がぼんやりと聞こえるような気もするのだが、それはあきらかにいつもの明瞭な力強い鐘の音ではなかった。
例年だと希望者は除夜の鐘を打つことができたのだが、お寺の話では今年はコロナということで お客さんのためのおもてなしはしないという話だった。
それでも例年のように無意識に鐘の音を耳がさがしてしまうのだった。

 

 

気が付けば あらわになりぬ 初日の出

今年の初日の出は雲の合間からぽっと顔を出した感じだったという。
この時期は雲がでることが多いのでなかなかはっきりくっきりとした日の出の姿を
望むことは珍しいようだ。
気が付いたら明るくなっていて、いつの間に日が出ていたんだということもあった。
しかし日の出というのは待つしかない。早く出そうとすることもできないし、
はっきりと出そうとすることもできない。
ただ ただ待つだけである。
しかしそれがよいのかもしれない。光がおのずと神羅万象を照らし出して、 その居場所をあきらかにしてくれのに任せていると 今自分がなにをすべきかがおのずと知れてくる。そんなこころもちにしてくれるのが日の出というものの持つ
精神性なのかもしれない。

 

 

手を入れて  ポケットにある  手套かな

手套は手袋の漢語的表現。
コートを着て 外に出たとき 幸いにもポケットに手袋が入っていたことに気が付くことがある。

 

 

手を取って ビル風(かぜ)の中 冬苺

冬苺は 私たちがよく食べるハウス栽培の苺ではなく
冬の野に実を付ける 木苺などのことをいう。

 

 

剥きながら 蜜柑の予感 呟きぬ

ナイフを使わずに食べられるる果実はそれほどはない。
蜜柑はその少ないひとつである。
外国ではそんな特長を持つ日本の蜜柑をテーブルオレンジと呼ぶらしい。

 

 

ジョギングの 足音近し 寒烏

寒空に 聞き覚えのある 烏の声がしていた。
昨日あたり これに似た鳴き声を聞いたような気がした。
と思う間もなく ジョギングをする 人が向こうから近づいてくるのが聞こえた。
烏はジョギングというなんの生産性もないことをする人間をどんな風に
見ているのだろう。

 

 

空缶を 風は集めて 寒オリオン

寒オリオンとは寒中の夜空に出るオリオンのこと。冬は大気が澄凍て空の星の光は するどい。スバルやオリオン座はすぐに見つけることができる。
冬になると 北風にあおられて よく路上の空き缶がうちの庭の方に転がってくる。
北向きの家は道路側が駐車スペイスになっていて 門も塀もないからだ。
入ってきたものを道路に蹴とばすこともできないので ゴミとして回収するのだが。
しかし路上を歩いていて 足元に転がってきた空き缶を知らずに蹴とばしてしまうこともある。
我が家にとっては冬は空き缶の季節でもある。

 

 

空き缶も 星も従え 北颪(きたおろし)

北颪(きたおろし) 山から吹き下ろしてくるから風。山の名を冠して浅間颪、
赤城颪、筑波颪、比叡颪などと呼ばれる。
六甲颪(おろし)といえば「六甲おろしにさっそうと 」という歌いだしで始まる かの有名な 阪神タイガースの応援歌も そうであった。

 

 

ビバルディの 冬愛聴し 春日(はるひ)待つ

ビバルディの四季といえば春がもっとも有名かもしれない。
しかし私が好きなのは冬である。冬の楽章には冬の激烈な空模様をドラマチックに表現した楽章と冬のひかりを浴びて平和な暮らしが表現されている楽章などがある。
冬着たり那波 春遠からじということばが思い浮かぶ。

 

 

全集を 捲りメクリ めくり 春日(はるひ)待つ

どんな作家や著作のものでも全集となれば傑作ばかりとはいえない。なかには拙いものもあるかもしれない。しかしその拙さの中にも後に傑作として開花していく種が含まれている。全集を読む楽しみはそれらをひとりで発見していく旅でもある。
歩くのに楽な平らかな道ばかりではない。時には険しい山を上るときのような粘り強さも全集を読みとおすには必要になるだろう。


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