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2021-02-04

十二月の自選俳句(2019年以前)

野球場の絵

もくじ

エレベーターに 一人残らず  聖夜かな

「まだまだ入れますよ。」この人数でみな乗れるかしらと思いながらも一人残らず同じ箱におさまるとなんとなく微笑がこぼれる。
毎年平和にこのひとときを知った顔とともに聖夜(クリスマス)を迎えるというのも 本当はそういうことへの感謝なのかもしれないと思ってみたりする。

 

 

みな乗った タクシー去り手 冬の夜

人 穴に 落ちて 真光る 冬の海

年末に浜辺で防風林を作るということになった。
そのままでは樹木が育たないということから 土を入れるために、深さ一メートル・幅三メートルほどの穴が海岸に沿って掘られた。
私などは工事の間浜には近付かなかったが、ある朝、見知らぬ婦人が浜に掘られたその穴に落ちているところを発見されて大騒ぎとなった。
足元に薬が散らばっていたところから、遠方から死に場所を求めてこのあたりの海へ車で来たらしいという。
薬を飲んで入水自殺でもしようと思ったのではあるまいか。
それが暗い中でまさかこんな所に穴があるとも思わずに、ふらふらと海に向かって歩いている途中で穴に落ちてしまったのではないかと思われる。
夜明けに発見された時にはまだ意識もあって、救急車で運ばれて行った。
数日前から家出人の操作願いが出ていたそうである。静かな海辺に起きた思わぬ出来事だった。

 

 

木枯らしの ポストに歩む 影法師

街に出て 大きなやかん 買う師走

年末に母親の買い物に付き合って見せの梯子をした。
五・六軒立ち寄ってから最後に金物屋でお風呂マットとやかんを買った。
「もう少し大きいのはありますか。」と母親が聴くと、店の女主人は棚の箱から別のやかんを出して来た。
ステンレス製の重量感のある大きなやかんだった。

 

 

御宿の 駅舎変わらず 冬の旅

焼き上がる パンの香充ちて 冬の川

天ぷらを 上げておるかよ 軒しぐれ

しぐれは冬の強い風に混じってぱらぱらと降ってくる雨のことをいう。
二階の部屋からしぐれが軒下の庇にぱらぱらと当たっている音を聞いているとそれが天ぷらでも上げているように聞えて来る。
軒下で天ぷらを上げているのは北風小僧か、それともだれなのか。

 

 

合唱を 終えてコーヒー 冬の海

月の砂漠記念館でのコンサートの最後に第九の喜びの歌を合唱した。
記念館を出たもののまだ明るさが充分に残っている時刻。HさんとUさんの三人で海のホテルでコーヒーを飲むことにする。
クリスマスソングのオルゴールが流れているだけの静かなラウンジ。窓いっぱいに広がる白い砂浜と冬日の輝く海。
冬の午後の時間がゆっくりと流れていく。

 

 

町の音 しだいに遠く 冬の海

冬の海 冬の光を 写しおり

風の穏やかなよく晴れた日にヘルパーさんと家の前の浜辺に出た。沖から押し寄せる波が盛り上がってはどっと水の上に崩れ落ちる音が聞こえるばかり。
今日の海はとても澄んだ色をしているとのこと。
海を眺めることを習慣にしている人は夏の海よりも冬の海を愛する。それは何の飾り気もない純粋な海の姿がそこにあるからなのだろう。

 

 

冬の日の 光をためて 小さき(ちさき)湾

外房の御宿町の海は外海でありながらあじろ湾という小さな湾となっているせいか 快晴のおりには穏やかな海となる。
冬の柔らかな陽光を受けて海は光に溢れる。

 

 

踏んで行く 銀杏落ち葉の 音楽館

年末が近づくと クラシック音楽の世界では第九の季節である。
三年前に初めてベートーベンの第九交響曲を聞いたのは上野の東京文化会館だった。
駅をでたところにあって 歩道に厚く積もった銀杏落ち葉を踏みながら会館に入って行ったのを思い出す。

 

 

柴又に 口上の声 冬日和(ふゆびより)

初冬にバスツアーで映画のとらさんで有名な葛飾柴又に行った。
柴又の駅前にあるとらさんの銅像をなでてから通りを歩いていると、女性の声で物売りらしい口上が聞こえた。
なんだろうと思って近づくと、店の軒先に本物のの金だという金色のうんこの形の渦巻きが置かれていて、「金運にめぐまれますから、ぜひ触って行ってくださいよ。」と言っている。
それでその金色の渦巻きをなでさせてもらってから、今度はそのとなりにある柔らかくざわざわした手触りのものを触るように言うのでそのとおりなでてみる。
「どうですか。まるで中学生の坊主頭のように柔らかでしょう」と言う。
これが上質の毛を使って作られた束子なのだという。
こんなに高級なたわしもあるものだと感心してその場を後にしたものだった。

 

 

川鯉も 水面(みなも)に寄りて ひなたぼこ

ひなたぼこはひなたぼっこの俳句的表現。
町の川沿いにある遊歩道をヘルパーさんといっしょに歩いていたときだった。
冬にしては暖かな日だった。
川の鯉が水面近くに見えるとのこと。
どうやら今日は鯉もひなたぼっこを決め込んでいるらしい。

 

 

イノシシは ふろふき食うて 山帰る

ふろふきとは大根や蕪を茹でたものに味噌だれなどをかけて食べるもので、熱いところをふうふう言いながらいただく。
このこのふろふきと聞くと私は真っ先に安房直子の短編童話「ふろふき大根のゆうべ」を思い出してしまう。山のイノシシがふろふき大根をふうふう言いながら食べる場面がなんとも印象的である。
この作品を読んでいると自分までもふろふき大根を食べたくなってくる。冬の寒い夜にはぜひ一読をお勧めしたい童話である。

ふろふき大根のゆうべ (作者・安房直子)
収載図書 ものいう動物たちのすみか (出版社・偕成社)

 

 

リスも夢 隠して眠る 聖夜かな

リスを飼っている友人がいる。森に住む彼らはえさをいたるところに隠して保存しておくという。
その中のあるものは隠した場所も忘れられ、そうした木のミから新しい命が芽生えるという。
家に飼われた栗鼠も与えられた餌を座布団の下やカーペットの隅に隠しておくので
掃除をしていると思いがけないところから木のミが出てきたりすると言う。

 

 

蜜柑(みかん)山 エデンの東 聞こえ来る

数年前のこと。母と弟たち家族とで大原の蜜柑園に出かけたときのこと。
そこは平地ではなく丘陵地だった。
息をはずませて上がって行く母に合せてゆっくりと坂を上がると、頭上に鳥よけのネットを這った区画ごとに蜜柑の木が植えられていて
たわわに実った蜜柑が冬日を受けて照り輝いていた。
そのとき園内のスピーカーからなのだろう、映画音楽の「エデンの東」が山の向こうから風に乗って聞こえていた。

 

 

冬菜畑(ふゆなばた) 農婦は子犬 遊ばせり

ヘルパーさんと川の遊歩道を歩いていると、首輪を着け、胴体に服を着せられた子犬が道ばたでぽつねんと立っていた。どうしてこんなところにと思っていると
近くの畑で作業をしていた女性がいた。通りすがりに「こんにちは」と挨拶をかわした。やはりその人の犬だった。

 

 

睡蓮や 新たな水に 冬眠す

シャコバ咲く 手花火のごと 吹き出しぬ

シャコバはシャコバサボテンのこと。
葉の形状が寿司のねたとしても知られる蝦蛄に似ているところからそう呼ばれるようになりました。毎年一二月から一月にかけて葉の先から朱色の花が噴き出すように咲いてくれます。

 

 

たたまれて スベラカニ触(ふ)るる カーデガン

椅子に無造作に放り投げておいたカーデガン。それをヘルパーさんがきれいにたたみ直してくれていた。
さわると以前とはちがう新しい服のような手触りがした。

 

 

ヘルパーに もうそろそろと 暦外ず(はず)(外すの意味)

カレンダーのことは自分がふだん眺めていないのでついつい忘れがち。
キッチンの大型冷蔵庫の脇に掛けてあるカレンダーを「もうそろそろ代えた方がいいんじゃないの」と言ってめくってくれるのは、いつも決まったヘルパーさんである。

 

 

冬日差す 野球場から 子らの声

窓を開け(あけ) 球音(きゅうおん)しばし 冬日和

福祉センター出行われていたクリスマス会を終えて事務局のHさんの車に乗ったとき 少しはなれた所から「オーウ オーう オーウ。」という声が聞こえて来た。
この声を聞くのは随分久しぶりのことでおもわず「なつかしいですね、この声。どこかで野球の練習をしてるのかな。」と言うと、この敷地内にある町の野球場で数日前から学生たちが練習に来ているのだとのこと。
動き始めた車の窓を開けてよく聞こえるようにしてくれた。
ここは東京よりもいくらか温暖な土地なので一二月のこの時期でも練習に来ているのかもしれないと思った。
それにしてもこの声を聞くのは本当に久しぶりだった。
以前こんなことがあった。
大学に行くのに東京の祖師谷という所に住んでいた。祖師谷は小さな街で通りの裏にある路地を歩いていたときにこれに似た声を聞いたことがあった。
そのとき「あれ、こんな街の真ん中に野球場があるのかな。」と思って、声のする方に歩いて行った。
オーウという声を頼りに歩いて行くと、その声は八百屋のお兄さんがお客に向かって発している声だった。

 

 

壺焼きの 火着け治し 日短(ひいみじか)

小座敷を 今日は貸し切り  歳の暮れ

われも君も 大器晩成 漱石忌

 

明治の文豪 夏目漱石の忌日は 一二月九日である。坊ちゃんからこころまで有名な作品を数多く残しているが、小説家として活躍した時期は五十歳で亡くなる晩年のわずか十年に過ぎない。
幼いときから他家に養子に出されたり、留学先のロンドンでは神経症を発病して帰国したりするなど苦労の多い人生を過ごしてきた人である。
それが最後の十年に小説家として結実したともいえる。いわば大器晩成の人である。

 

 

小座敷の 客の声にも 年の暮れ

音楽仲間のWさんに頼まれて彼の会社の忘年会でミニコンサートをやることになった。
Kという寿司やの二階にある座敷でやることになり、私は仲間の一人と下の小座敷で食事をした。
この食事が出演料ということらしい。
寿司やのせいなのか、暖房も明かりも控えめな感じである。店内では客の声も昼間のそれとは違い控えめな中にも年の暮れの押し迫ったような落ち着かない表情が伝わってくる。
まもなくすると別れの挨拶の中に「よいお年を」ということばが聞こえてくるのだろう。
いつも人から言われてもうそんな時節なのだと私も使い始める。

 

「よいお年を」と 今年も 先に言われけり


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