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2022-12-30

今月の俳句「十二月」2022

潮騒に クラクションひとつ 十二月

塀の上 冬日を抱いて 浜の猫

家の南側にあるブロック塀の上をのっそりと動く 黒い 影が曇りガラス越しに。
北風の来ないこのポジションは日向ぼっこには絶好のポジションだ。
冬日をまっすぐに受け止めて海を眺めているのは どこかの野良猫だ。

 

 

早々と ねぐらへ鴉 山眠る

山眠るは 冬の山の静まり返った様をいう。
春は 山笑う、夏は 山滴る、秋は山装う。

 

 

 

オムレツは 乳房の形 冬の月

片付けの 棚を残して 冬茜

冬茜は冬の夕焼けの様をいう。
断捨離が流行しているようで 我が家の荷物部屋と化した一部屋をなんとかすっきりとしなければと最近片付けを始めた。膨大なカセットテープをゴミフクロに。しかしカセットの中に入っている紙片を取り出して プラスチックだけにしておかないと行けないので一つ一つ確認しながらゴミフクロに入れていく。点字のタイトルはあえて読まないことにする。そうやって棚のカセットテープの箱を断捨離した。
然しまだ下の棚を二つ残したところでもう日没。今日の作業はここまでとなった。

 

 

半纏の 腰たっぷりと 賀状書く

半纏に似せた半纏ジャケットなるものが生協に出ていたので買ってみた。半纏ほど綿が熱くはいっていない分薄くて動きやすい。それでいて 尻の方まであるので暖かいのはありがたい。
今その半纏ジャケットを着てというか、纏って賀状を書いている。
賀状は普段会わない 遠くの友人と親戚だけに出している。要するに今年もまだ何とか生きていますと新年の挨拶にかこつけて伝え合うのが賀状に期待するところなのだ。
だから決まりきった新年のあいさつは簡単に済ませて最近の様子を書いてくれる賀状がうれしい。

 

 

木枯しも ビル風も超え 靴を買う

比較的風の強い日だったが、今 履いている靴がだめになりかけていたのでヘルパーさんと出かけることにした徒歩で15分ほど、スーパーマーケットの傍にある。うっかりすると 見逃してしまいそうな小さな靴屋さんだが、ここで大概の用はたせるのでありがたい。
道路に出るといきなり正面からこがらしが寄せてくる。
それでも今日は日差しがあるので助かる。
きはたいへんだが 帰りは逆にかぜが背中を押してくれる。橋を渡ると海からの強い川風に吹かれる。帽子を風に取られないように手で押さえながら 橋を渡る。
昔 風に飛ばされて川に帽子を落としたことがあるのだ。帽子は川の流れに乗って間もなく海へ出て行った。
無事 橋を渡ると海を臨むマンション街が見えてくる。
橋の手前は 高さ制限がかかっているのに対して橋の先の区域には制限がないので
このあたりにマンションが集中しているのだ。
両側をマンションに挟まれた 細い路に入ると 冷たいビル風が前方から寄せてくる。
ヘルパーさんの肘をしっかり掴んで息を止めて風の中を抜けていく。
ここまでくれば一息つける。マンションが途絶えて 前方にイタリアレストランが見えてくる。今日はピザ釜のある庭のテーブルに客の姿があった。

 

 

新築の コンクリ流し 街師走

ほんとうのさいわい ほんとうの聖夜

聖夜は クリスマスイブのこと。
日本のクリスマスはお祭り騒ぎのようだ。それは恋人のための行事であり、家で ケーキとチキンとプレゼントをいただくためのクリスマスとなっている。それはどこかスカスカの 何かが足りない クリスマスでもある。
それは日本が クリスマスを受け入れた時 一種のお祭りという形をとったせいでもある。
ほとんどの日本人がキリスト教とは無縁であったことを思えばこれは仕方ないともいえる。
ただそれでも これだけでよいのかとも思う。
クリスマスというと 私はなぜか アンデルセンのマッチ売りの少女を思い出す。
宮沢賢治の童話の主人公たちは「ほんとうのさいわい」について思いを巡らす。
銀河鉄道のジョバンニは 本当のさいわいについて考える少年になった。
ほんとうのさいわいについて思いをめぐらすのが 本当のクリスマスのような気がする。
それはクリスチャンでなくともできることだ。
心のさむい人たちを温めてくれる そんなクリスマスがどこかにあればよいと思う。


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